人生の路程

旅行者が賢ければ、どこから、どこへ行くかは知っているように、人生もまた、その目的と道筋がわかっていれば、難所は避け得るし、より楽しいものとなる。

まず存在というものから考えてみましょう。われわれの人生はいわば一大行路であり、一人一人はその上を行く旅行者にもたとえられましょう。われわれの背後にはその出発点である生誕があり、それは壮大な無限につらなります。また行手には、避け難い広大な無限である死が控えています。いずれは避けがたいにしても、人生の途上に得るものによっては、恐れを伴う神秘ともなり、また理解の仕方では当然のこととして、和解することもできるものです。この人生は求めて得たものでもないし、拒否できるものでもないのです。一体いかに対処すべきものなのか――何を思いつつ与えられたこの生を送るべきでしょか。

環境のままに生きて行く人も多い――引かれるままに、あるいは押されるままに、この路上をただよい歩む人たちです。山腹を蹴って転がり落ちる雪の球にもたとえられましょうか。一瞬においては自由であり、開放であり、妨げるものとてない。それが、次の瞬間には、予想もつかぬ事故事件にもあうのです。いかにこの状態を避けるか、乗り切るかについては、ただ当惑するばかりなのです。年月の経つほどに、その受ける人生の浮沈や辛酸、苦痛が、時たま訪れる喜びや心の安らぎによってはたして償われるものかどうかと疑うに到るのです。